「故郷の村が燃えていたら、見に行くでしょ?」
辛いなら見なければいいじゃん、というコメントに対し投げかけられた言葉である。
そんな迷言?が生まれた作品がTVアニメ「覇窮封神演義」である。
原作となった封神演義は中国明代の神怪小説を藤崎竜先生が漫画化した作品。
少年漫画用に大端にアレンジされた内容、原作にはないコメディ要素などを多く取り入れ、週刊少年ジャンプの暗黒期を支えた作品として知られている。
藤崎竜先生の華麗で独特なタッチのイラストやジャンプでありながら綺麗に完結した作品である点などから今でも根強いファンが残る作品である。
かく言う私も友達の家で読むや否、その世界観 面白さに魅了された。何よりも主人公がそこまで強くなく卑怯な所が衝撃的で、自分でも全巻購入するほどのめり込んだ。
そんないまでも読み返すほど好きな作品のアニメ化が決まったのが2017年8月。当時、そのことを知りもうたまらなく嬉しかった。アニメを通してまたあの作品に触れることが出来るのだと。
しかしながら、その想いは裏切られた。
無茶苦茶な構成、視聴者置いてけぼりの展開、辻褄が合わないストーリー…
どこから手を付ければ良いか分からない内容で、皮肉にも2018年春クールのワーストアニメと決定した。
どうして「覇窮封神演義」はそれほど酷評される作品となったのか。その理由について書いていこうと思う。
今から語るのはあくまで私個人の考えである。この内容をファン全体の総評だとは思わないでいただきたい。またその内容から、気分を悪くするファンもいると思われる。それでも良いという方のみ読んでいただければ幸いです。(ネタバレ含みます。)
時間が足りない
まずはこれ。圧倒的にこれ。
原作23巻に対し、放送は2クール(大体24話)。単純計算1話で一巻の内容を消化しないといけない。
一巻というと、デスノートだとノートを説明してLが関東まで絞り込んでノートの効力を試すまで、ハガレンだと錬金術賢者の石兄弟の説明してマスタング大佐が出てくるまでである。
この内容を一話、30分で説明しようとなると…
どう頑張っても無理である。
一応アニメの内容としてはファン人気の高い「仙界大戦編」を中心に構成されるとのこと。
序章+仙人大戦編(原作13~17巻)+ラストだったらギリギリ行けるかなと考えていたが、ここで驚きの続報が。
オリジナル展開が楽しいです。懐かしさと新しさの両方が味わえます。
いやいやいや、無理だろ。
ただでさえ、内容キツキツなのに原作とオリジナルストーリー?
ドラゴンボールで例えると「フリーザ編」「セル編」「魔人ブウ編」+GTの内容ちょこっとである。
明らかに無謀、しかしそんなこといいながらも「フリーザ編」「魔人ブウ編」カットしていい感じにまとめてくれるだろうとこの時までは思っていた。
発表された脚本家に一抹の不安を覚えながらも。
内容がスカスカ
そうこうしている内、2018年1月「覇窮封神演義」1話が放送された。現在の高画質で生き生き動き回るキャラクター、特有の世界観を見てやはり封神演義はいいなーと思いながら視聴終了。
感想をTwitterで見ていると出るわ出るわ酷評の嵐。
展開がバカ速い為、「忙しい人向け封神演義」「RTA封神演義」など言われていたり、重要なシーンをカットしまくった為、主人公が無策で敵地カチコんだバカに見える等々。
もしかして俺たちが観ているのは封神演義じゃなくてソードマスター太公望なのでは?
— ふぉぶ🕶 (@FOBton) January 12, 2018
妲己(敵のボス)の姉妹の出番をカットした為「今度の内容に矛盾が生じるのでは?」と心配する意見もあった。
確かに展開はかなり速かったが、2クールにすべて収めるためには致し方ない。むしろかなりうまくまとめた方だと私は思った。
一話を見た時点では。
続く二話も一話以上にフルスピードでかっ飛ばした内容。あれよあれよと内容をすっ飛ばして行くシーンはブッチ神父のメイドインヘブン受けてんのかなってレベル。
アニメ封神演義
— ツタカズラ (@zassyu2_ero) January 19, 2018
2話の状況整理してみた pic.twitter.com/4tb6wUVdgO
その後もブレーキ壊れた暴走機関車のように吹っ飛ばし、ようやく落ち着いたのは「仙人大戦編」に入ろうかという7話。
導入を飛ばしまくったせいで、新規視聴者はおろか原作ファンですら内容を理解できていない事態に。ここまで視聴を続けているのはもはや原作ファンぐらいだったと思う。
その後は「仙人大戦編」をそれなりに原作通りにやってくれたので一応は満足した。
アバンがありえない
覇窮封神演義にはアバンタイトルが数多く挿入されている。
アバンタイトル(avant-title、仏英混合の造語、アヴァンタイトル、略してアバンとも)は、映画やドラマ、アニメや特撮などでオープニングに入る前に流れるプロローグシーンのこと。
物語の核心を導入に持ってくることでこれから始まる物語にのめり込ませることが出来る為、アニメや映画などでたびたび使用される手法だ。
有名どころだと「ナルト疾風伝」でのサスケとの再会シーン、最近だと映画「君の名は。」などに使用されている。
そんな、アバンタイトルだが今作では滅茶苦茶多く、大体新キャラが登場する回ではアバンから入る。
そのアバンが色々酷い。
話が纏まりきっていない時点で未来の話をする為、話がとっ散らかる。ラスボスのラの字も出ていない状況で存在を公表されたときは本気で混乱した。
特に酷いのが「黄天化」のアバン。天化はで男らしい、家族思いなどの性格から男性人気も高いキャラクター。著者も一番好きなキャラクターである。
ライトセイバーっぽい武器を使う
そんな天化は物語の途中である理由から主人公たちと離れ、単独行動に走る。ここで主人公は説得する重要なシーンがあるのだが、本編ではよりによってこのシーンをアバンとして使用した。
天化が出てきてすぐそんなシーンを見せられたら視聴者はどう思うだろう。
どんなに天化が仲間や家族を身を挺して助けたところで(でもこいつ裏切るんだよね)と思い、全く感情移入できない。
むしろ滑稽にすら見えてしまう。
天化ファンから一つ言わせてもらうと、天化マジでかっこいいから。
原作漫画読んでくれればその生きざまに涙するから。
話に矛盾が生じる
これは序盤を総集編レベルでぶっ飛ばした為、起きてしまった出来事。
3話で敵ボス「妲己」に化けた「楊戩」を主人公が見破るシーン。ここでキャラの呼び方の違いを指摘して偽物だと見破るのだが、1巻の内容を大幅に端折ったせいでそもそも妲己がそのあだ名で呼んでいない。
そんな中、主人公が「妲己はスープ―ちゃんと呼ぶんだよ」と自信満々に発言。
新規視聴者ははてなマークで頭が埋め尽くされたに違いない。
また、9話孫天君との戦闘シーンでも話に矛盾が。
原作では仲間が人質にされた為、しぶしぶ敵のルールに乗っ取ってゲームを行うことになる。
しかし、アニメでは人質にされたキャラは登場しない。よって人質はいない。(一応その後少しだけ登場したが)
その為、原作でも言っていた居合の達人の仲間が全てのダミーをぶった切れば済む話である。
これ以外にも
・天化が呪いの傷を受けるシーンをカットした為、いつの間にか傷を負っている。
・カットを重ねた結果、初登場キャラが何事もないように会話に参加する。
・なんの複線もなく出てくる新武器、隠された能力、仲間との絆…ect
このように覇窮封神演義では、内容を短縮したせいで話に矛盾が生じるケースが多々あった。
話が反復横跳び
これは説明するより2話を見ていただいた方が分かると思われる。
主人公サイドの話をやったかと思えば、敵サイドの話。少し説明してまた主人公サイドの話。長くやるかなと思えば、一方そのころ…
話がまるで反復横跳びのように入れ替わる為、内容に理解が追い付かない。それを爆速で説明して行くので、ますます訳が分からない。
この反復横跳び、序盤に何度も出てくるので非常に分かりずらくストレスがたまった。
また同じような演出としてキャラの回想中に別キャラの回想を重ねる「二重回想」も多かった。
この二重回想、話がとっ散らかるのでシナリオ構成では禁じ手として知られている。
ただでさえ場面が目まぐるしく切り替わるのに、それに加え過去、アバンで未来と時間軸まで切り替わっていくともう何が何だか…
自分が何を見ているのか分からない。まるで3D空間に迷子になったようなそんな感覚にアニメを見ていて陥った。
怒涛の総集編ラッシュ
アニメにはこれまでの内容をまとめた総集編という回がある。ストーリーの要点を説明することで、内容をおさらいできる、新規視聴者もここから見始められるなどの様々なメリットがある。
覇窮封神演義は13話が総集編にあたり、主人公と前回まで敵対していた黒幕っぽい「王天君」が向かい合って会話している場面から始まる。
この13話がまあ曲者。
総集編でありながら、既存視聴者も説明を理解できない内容だったり、内容の繋がらなさから実は12.1~9話があるんじゃないかと本気で疑われたり、ネタバレレベルの重要な内容を説明していたりと今まで以上に難易度の高い話なので頑張ってついてきて貰いたい。
分からなかったら原作を読んでいただければ理解できると思います。
情報の荒波の13話を乗り越えた精鋭たちがたどり着いた14話。通常の情報量と速度に戻り少しは安心して見れるようになるだろうとTVを消そうとしたその時。驚愕の文字を我々は見ることになる。
「次回は総集編です。ご了承ください。」
http://anicobin.ldblog.jp/archives/53352654.html
そう、まさかの1話挟んで2度目の総集編、総集編サンドイッチである。(幻の14.5話)
この総集編により、12.1~9話存在説が急浮上。趙公明編やってたんじゃないか説と共に一気に現実味を帯びてくる。
そんな14.5話だが、内容を切り貼りしただけの総集編でやはり12.1~9話はなかったという結論に。
(ちなみに趙公明編は劇中では描かれなかったがやっていたよう)
ラスボス戦カット
怒涛の展開で視聴者が次々と離脱していく中、最後まで残った者への手向けとして用意されていたのが、ラスボス戦カットである。
もう一度言う。
ラスボス戦丸々全カット。
むしろ、ラスボス戦をやる為にここまでハイペースで飛ばしてきたのではないのか。ここまで来ると逆に笑えてくる。
アニメ中には徐々にラスボスの存在を匂わせて、後半には丸々一話使って正体が判明したりと複線は貼っていた。そこまでしておいたのにも関わらず、ラスボス戦全カット。
恐らくここまで視聴していた方の多くは原作ファンで「アニメの行く末を見届けねば」という義務感で残っていたのだと思う。
私もそうだった。伏線がどこまで回収できるのだろうと。
だがまさか、ラスボス全カットは予想だにしなかった。ホント今までやって来たのは何だったのだろう。
それだったら、複線なんて貼らずに少しでもキャラの心情などを描いてほしかった。
この、前代未聞「ラスボス戦全カット」により再び話題に。
一時Twitterのトレンドに上がるなど盛り上がりを見せる。
原作ではラスボス戦はカットせずに決着がつくので是非見てほしい。
原作は素晴らしいから。
その他色々
展開をすっ飛ばし、最終的にワープまで成し遂げた「覇窮封神演義」
数々の伝説を残した本編の脚本家は何を隠そう「高橋ナツコ氏」である。
彼女についてはコチラの記事が分かりやすいので是非見てほしい。
高橋ナツコはなぜ評判が悪い?うどん事件や原作クラッシャーの異名! | Career Find
私が彼女の作品を初めて見たのが「ディバインゲート」というアプリ原作のアニメだった。当時1、2を争うほど好きだったゲームで放送日を今か今かと待ちわびていた。
しかし、お世辞にも全話通して良い出来だと言えずに放送は終了した。
SNSで「意味不明」「展開についていけない」などアニメを通しディバゲ自体に批判が寄せられるのを見て、 「原作はもっと面白いのに」と思ったのを昨日のように覚えている。
そのような理由から脚本家に選ばれた彼女の名前を見て頭を抱えた。
また原作とかけ離れた作品になってしまうのではないか。
私と同じように脚本家への不安感からアニメ化決定を心から喜べないファンも数多くいた。
その不安は的中。
前述した通り、どこから手を付ければ良いか分からないような作品と化してしまった。
そのような理由から、原作ファンの怒りが爆発。
冒頭の迷言や「ファッキュー放心演技」を始めとする数々の蔑称が生まれてしまう。
そして放送終了後、ファンの間に残ったのはやり場のない想い、行き先の無い怒りであった。
ある者は制作会社に対し原因究明の説明を求め、またある者はもう一度作品を作り直すべく署名活動を行った。
正直ここまで行くと「やりすぎでは?」と思う方もいると思われる。しかし、それには深い理由がある。
実はフジリュー版「封神演義」は過去に一度アニメ化されている。その時は原作が完結していなかった為、半分オリジナルストーリーとして放送されファンの間からは黒歴史として扱われてきた。
その為、界隈では常に再アニメ化を望む声があった。そう、封神演義ファンにとって原作通りのアニメは悲願だったのである。
そのような声が届いたのか、原作終了から18年後に原作通りに再アニメ化されることが決定。
それが「覇窮封神演義」だったのである。
自分はフジリュー版「封神演義」を完結してから読んだ。そしてアニメ化された過去も知り、「原作通りのアニメを見たい」と再アニメ化を待ち望んだ。
自分ですらこれほどのやり場のない想いがある。原作が連載されていた時期から再アニメ化を長年待ちわびていたファンの想いや怒りはここでは語り切れないほど深いだろう。
良かった所
忌み子として産み堕とされた「覇窮封神演義」
原作ファンからの評価は黒歴史レベルで低いが良かった所も少なからず存在する。
原作で外伝が発行される
まず、挙げられるのはこれ。再アニメ化により、週刊ヤングジャンプにて外伝が短期集中連載されることになる。
まさか、封神演義の連載が生で読めるとは夢にも思っていなかった為、無茶苦茶嬉しかった。
原作の内容を補完するような形の本作品。あのキャラやこのキャラまで出てくるのか!という原作ファンにはたまらない、お祭りのような内容なので未読の方は是非読んでいただきたい。
もう一度作品に注目が集まる
このポイントも再アニメ化のメリットだ。今の若い人たちや内容を知らない人に「封神演義」を知ってもらう良いきっかけになった。
フジリュー版封神演義の魅力については以下の記事で紹介しているので、読んでいただければ幸いです。
また、ファンや途中で読むのを辞めてしまった方にももう一度読み直す動機にもなった。
自分ももう一度読み直したくなり、文庫版を購入した。
読み直してみると、忘れていた内容や新たな発見を見つけたりと昔以上に面白く感じた。
切り取ってみると良いシーンも
覇窮封神演義が丸々悪い作品だった訳では無く、部分的にみると良いシーンもいくつかある。
たとえば22話の黄飛虎と聞仲の決闘シーン。二人の想いのぶつかり合いからの決着、勝者のやるせない気持ちをうまく表現できていたと思う。
その他にも、韋護&楊戩VS金光聖母&姚天君や聞仲と崑崙十二仙の決戦など「仙人大戦編」には良いシーンが多かった。
あるキャラが生存する。
最初からの予定通りか尺が足りなかったからかは分からないが、あるキャラクターは最後まで生き残ることになる。
どのキャラが生き残るかは、是非ともあなたの目で確かめてほしい。
もしかしたら、あなたの好きなキャラクターが生存しているかも知れませんよ。
最後に
この封神演義のアニメ化の失敗により、古い漫画がアニメ化決定となっても素直に喜べなくなってしまった。
この前例がある為、もしかしたら自分が好きな作品もこのようになってしまうのではないか、と。
しかしながら、キャラクターに声が付いて生き生き動き回っている姿が見れるだけでも十分アニメ化のメリットはある。
好きなキャラが戦っている、他のキャラと喋っている。
それだけで、幸せである。
ここまでつたない文章を読んでいただいてありがとうごさいます。
少しでも何か感じて貰えたら嬉しいです。
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